読了>52ヘルツのクジラたち

今回は2回読むことにした。

1度目は何も知らず、自分の感性で読んだ気持ちを知りたいため

 

2度目は、町田さんのインタビューや他の方の感想、考えを身に刻んで

1度目に感じられなかった気持ちを感じたいためである。

 

私は、私の知らない楽しみを味わいたい。

 

読む前は、単純に52ヘルツの誰にも声が届かないクジラを

現代の心の中で叫びながら、そしらぬ顔で生きている人たちを重ねている

そのことを、とても興味深く感じた。

だからこそ、書店でいつもは手に取らない小説を持ち帰ることにしたのだ。

 

1回目に読んだ感想としては

きっと町田さんは、読者の背中を押したいとこの作品を描いている。

そして私は背中を押されたと思った。

全体として重いようなイメージを抱きながらも、救いのない世界ではなく

辛くても苦しくても、暗闇には1筋の光があって

それに眩しく思いながらも手をかざせば、紐になってひっぱりあげてくれる。

そんな人がどこかにいるとそう教えてくれているような気持ちになった。

 

この気持ちを最近感じた。それはエヴァンゲリオンの最新映画をみた時だった。

エヴァンゲリオンのアニメをみた時は救いがなくて、本当にこの世界に自分に

飽き飽きするような気持ちになった。

 

けれど、最新作ではみんなが救われて、誰にでも救いがあって

それを見つけるために明日も頑張りたい。そう思う作品になっていた。

出会いは必ずどこかにある。そう信じたくなる作品だった。

 

だが一方で声が聞こえなかったために助からない人がいることを

アンさんに託していることも忘れてはいけないなと思う。

彼は、現実でも52ヘルツの声が届かなかった、光が見えなかった1人なのだ。

52ヘルツの声をあげつづけることに疲れてしまった1人なのだ。

世間にも救いようがないという言葉や状況があるが

遅かったのか、なかったとあまり言いたくないがそういった状況もあるのだ。

 

だからこそ、確実ではない。

確実ではないからこそ、ないと諦めるのではなく

光があることを信じて、声が届くことを信じて

明日ももう1日頑張ってみよう。の繰り返しであるように感じた。

 

52ヘルツのクジラたちにも同じことを感じる。

2回目は、町田さんのインタビューを拝見し52ヘルツのクジラの声を聞きながら

読むことにした。

良い人と悪い人という言葉があるが

端的におさめてしまえば

この作品でスポットライトが当たったキャラクターは”良い人”のように描かれていて

その人たちに光が当たる一方で”悪い人”のように描かれている人もいる。

1人の中に両方を持ち合わせている。だから描かれていない想像で

1人1人のキャラクターに思いを馳せる。

 

 

クジラたちの声は想像していたよりも私にとって

ずっと物悲しくて、深い海の中で響き渡り泣いているように聴こえる。

 

近しい人の匂いがある。という町田さんのインタビューがある。

匂いが近い人が寄って集まっていく。

 

 

匂いの近い人に囲まれながらも

世の中の人もこうして、心の中では声を上げて、

泣いたり、叫んでいるのだろうか。